ヤブ心理士よ、私を訴えたければ訴えろ、訴えたいのはこっちなんだからな。



前略
N先生
お久しぶりです、と言うべきでしょうか?私自身にも良く分からないです。Y先生が外来をお辞めになることは、ご存知かと思います。私でも知っているのですからね(笑)。私は、転院を考えています。以前EMDRの治療を何度か受けたことがある、T先生がおられるH園への転院です。全幅の信頼を置いてきたY先生の治療が受けれないT病院なんてのは、私にとってはクソかチンカスでしかないからです。これは、少し逆上して酷いことを言い過ぎたかな。20年お世話になったTからほかの病院に移るのはある意味断腸の思いでもあります。ですが、T先生ならY先生並みに信頼がおける方だと思うのです。これから私が書くことは読み手にとっては非常に嫌な文章になるかもしれませんが、どうか最後まで読んでいただきたいのです。私の最後の我儘みたいなものです。一所懸命書きますから。
私には、実は殺しても飽き足りないぐらいムカツク人物がおります。武士の情けで名前こそ出しませんが、眞田百合子というCPです。こやつの治療を私は、2013年4月から14年の3月まで新潟の某カウンセリングルームで受けておりました。こやつの何処が許せないか?両手の指で数えきれないほど理由はありますが、一番許せないのは「人が人を好きになる」という感情を弄んだことです。ぶっちゃけて言えば私が先生に持ってしまった感情です。2010年の一回目の入院の時に私は先生にそういう感情を自分が持っていることに気が付きました。でも退院後、数週間ぐらいで卒業して乗り切った感情だったのです。向こうは「オックスさんのNさんへの感情を弄ぶつもりなどありませんでした。全てオックスさんに良くなってほしいという善意からやったのです」と言うかもしれません。ふーん。そうですか。善意からやったのなら結果がどうなっても許されるのかね?敢えて極端な歴史上の例を持ち出しますが、中国の文化大革命だってやった連中は、悪意なんかなかったのですよ。悪い奴らをやっつけていい世の中をつくろうという善意からあれだけのことをやったのですよ(数百万人粛清・数千万人餓死)。歴史と言うのはこういうことを知るためにあるのだと私は思っています。この眞田というCPは多分ヤブです。少なくとも私はそう思っています。ほかの患者さんにとっては有能で頼りになる心理士なのかもしれませんが、私とはソリが全く合いませんでした。実際、2011年7月から2013年3月までお世話になったT・T先生の面接を受けていた時、私はあれだけ、「できなくなった、できなくなった」と苦しんでいた読書ができるようになっていました。北方謙三氏の中国歴史小説の超大作・『水滸伝』(全19巻)や、その続編たる『楊令伝』(全15巻)をスラスラ読めるまでに回復していました。それが高梨先生の後任となった眞田CPの指示通りに行動すればするほど私は追い詰められていきました。過去のツイートを読めばわかります。「死にたい」「苦しい」「助けてくれ」「消えてしまいたい」…そういう悲痛な内容のツイートがどんどん増えていくのです。13年の9月ごろには、私は高校時代にお世話になった山形県K市の青少年自立支援センターに寮生として再びお世話になることさえ考えていました。そこまで精神的に追い詰められていたのです。友人や知人には「もう一度そこでお世話になって自分を鍛えなおしてもらうのもいいのではないか」という意見を述べる人もいました。逆に「貴方は、そこをもう巣立った人間なのだから、一度巣立ったところに戻るのはどうかと思う」という慎重論もあり、私の心は千路に乱れました。これ以上はないというぐらいの所まで追い詰められて、司馬遼太郎記念館や戦艦三笠を見たい、お台場のガンダムを見たいという大旅行を思い立ち、Y先生に「今の貴方がそんなことをしたら倒れてしまう危険があります。入院の必要を認めます」と言われたのです。2010年2月の1回目の3病棟入院の時、私が先生に身の丈を超えた特別な感情を持ってしまったのは事実です。しかしこれは~何度でも申し上げますが~退院後すでに卒業しておりました。先生は、私の中ですでに過去の人でした。ところが!13年11月の入院でこの感情が蘇ってしまい、私がどれだけ苦しんだことか。これだけは何度でも言います。この人に患者さんの治療をさせておくのは『白い巨塔』の財前教授や『銀河英雄伝説』のオフレッサー上級大将を放し飼いにしておくのよりも危険です。私みたいな悲惨な目に合わされる患者がこれからも出るかもしれません。眞田CPは、私が「社会復帰したい」と言ったら、私にハローワークに通うことや、就職面接会に行くことや資格取得のための勉強をすることをすすめました。上に何かが付くほど真面目とよく人から言われる私はこの人の指示通りに行動しました。ハロワに通いました。パソコン関係の資格取得のための勉強もしました。障害者を対象にした就職面接会にも出ました。でもこの人の指示に従えば従うほど苦しくなっていくのです。私はツイッターとブログで眞田CPの名前を実名で晒しましたが、悪いことをしたとは毛ほども思っていません。医師でも心理士でも学者でもない、権力も権限も何の資格も持たない一般ピープルにできるささやかな報復手段を行使したとしか思っていません。それほど私の眞田CPへの怒りの感情は激しく強いのです。
昨年2014年の3月から新潟青陵大学大学院臨床心理センターの浅田剛正先生に担当心理士になってもらいました。Y先生の紹介状を持ってです。とにかく眞田CPの指示通りにこれ以上行動していたら潰されるという危機感がありましたから。血反吐を吐くような思いで2013年11月の入院生活を終え、某カウンセリングルームに行った私にこの疫病神CPはまた私に資格取得の勉強をすることや就職面接会に出ることを勧めました。当時の私はそう状態にあり、次から次へとアイデアがわいては来るが、どれを実行に移しても本人にも周囲の人間にもプラスにはならないというあの状態にありました。私のような双極性障害の人間が、こういうそう状態のときは、冷却期間を置くというのが、精神医学や臨床心理学の大原則なのではないでしょうか?比較的まっとうな内容の双極性障害関連ウェブサイトや精神医学の本には必ずと言っていいほど書いてあることです。「この人、本当に心理の専門家なの?」とその時、私は思うようになっていました。何とかの一つ覚えみたいに「私の治療の仕方は高梨さんとは違うのです」と仰せになるだけでしたしね。私は、眞田CPにアホの一つ覚えの銃剣突撃で6万人の死傷者を出した乃木希典大将を笑う資格はないと思います。それどころか乃木さんのほうが私の人物評価の基準で言えばこのCPよりも偉いです。乃木さんは、腹を切るという形で失敗の責任を取っているからです。これは誰でもできることではない(笑)。覚えておいでだと思いますが、私は、昨年8月・9月に第3病棟に三回目の入院と相成りました。ブチ込まれました。山家先生や浅田先生が悪いとは私にはどうしても思えないのです。鍵がかかった病棟に入れられているところを毎日先生にみられるのがどれほど屈辱だったかお分かりいただけるでしょうか?昨年8月に山家先生に「再入院が必要です」と言われた時点で私の担当心理士は、疫病神眞田CPではなく浅田先生に替わっていました。私は、山家先生に入院の必要性を説かれた時「N先生にそんなところを見られたくない。そんなとこ見られるぐらいなら死んだほうがまし」と散々ゴネました。診察室で、です。Y先生は、「なら、N先生がいないほかの病院に入院しますか?」と仰いました。実は、その時、H園のT先生の顔が頭に浮かばないでもなかったのです。くどいようですが、眞田CPは「人が人を好きになる」という人間にとって最もかけがえのない感情を散々弄んでくれました。こんな人が許せるか!二回目の入院の後も、三回目の入院の後も今度は酷いうつ状態になりました。それが数か月も続きました。Y先生や作業行法師のKさんが私を支えていてくれなかったら死んでいたかもしれません。くどいようですが、一回目の入院のときに私が先生に持った感情は私の宝物だったのです。高校時代のあの恩師に今でも持っている感情と同じです。一度乗り越えて、卒業した感情であるからこそ宝物だったのです。それを、よくもよくも…としか言いようがありません。眞田CPには激しく殺意すら覚えます。Y先生が「そういう怒りが込み上げてきてコントロールが難しくなったらいつでも私やKさんに相談してくれてもいいです」と仰るほどの感情です。そのY先生が外来をお辞めになるとは夢にも思いませんでした。ショックです。
実は私は、司書という職業への憧れを捨て去ることが出来ず、近畿大学の通信制司書課程で3月から学習を開始しています。でも通信制課程で自学自習するのは、自学自習で資格取得するのは生半可なことではありません。これからますますY先生のお力が必要になるだろうと思っていた矢先の出来事でした。読書も音楽鑑賞も勉強も手につかなくなるほどの衝撃を受けています。もう言葉もありません。
4月2日のY先生の診察の時、「また入院が必要という事態になったとします。もしそうなったら、先生の治療が受けれなくて、しかもN先生のことで苦しまなくてはならないT病衣の入院生活と、T先生の診察・投薬やEMDRが受けれてN先生のことで苦しまないですむ保養園の入院生活ならH園のほうに気持ちが傾きます」と私は、申し上げました。
4月10日のY先生の診察の時に、T先生のおられる保養園に移ることを希望しました。しかしY先生が推されるのは新任のH先生でした。私はH先生に賭けてみることにしました。H園には閉鎖病棟(私はあそこをキチガイ病棟と呼んでいますがねw)がないこと。どっちみちキチガイ病棟入院が必要になったらH園からTに回される可能性がかなり高いこと。Tよりも私が住んでいるAからH園は大分遠いこと。いくつかの理由が私をH先生に賭けてみようという気にさせました。それにもう先生から逃げるの、嫌ですしね。
それと私は異性をマジで好きになるとどうしてもその方と自分を比べて、「オレはなんてダメな人間なんだ!」と自分を貶めてしまうという妙な性癖があります。どうしてこんな心理的メカニズムが働くのか自分でも解明できません。高校時代のあの恩師と自分を比べてどれだけ高校時代、自分を貶めて苦しんだことか。私は自分のことをマゾだとは思っていませんけどね(笑)。国立大学にストレートで入学して、大学ではジグムント・フロイトの研究をやり、フロイト研究・フロイト卒論執筆と並行して国語の教員資格も取った頭脳明晰な方でしたから。今、私が自分と比べて自分を貶める対象になっている方は誰あろう、先生ですよ。先生は、私などからみると軍人で言えば少将か大佐ぐらいにはなっておいでです。出世しておいでです。少将は海軍であれば艦隊指揮官、大佐は戦艦・空母の艦長クラスです。先生は病院の心理室長というまがりなりにも一種の管理職、優秀な心理士、ユングとクラインの研究家、講演もよくやっておいでです。それと比べてあたしゃどうでしょう?一兵卒ですらありません。この年齢になって、です。くどいようですが、T・T先生のときはこんな比較地獄に苦しめられることは毛ほどもなかったのです。この比較地獄、本当に辛いんだ。Y先生と浅田先生にだけは申し上げていますが、この比較地獄のことは。あれだけできなくなっていた大好きな読書ができるようになっただけでもT・T先生の功労は計り知れません。私をこの比較地獄に陥れてくれ、しかも「人が人を好きになる」という感情を弄んでくれた眞田CPの罪は計り知れないとついつい愚痴ってしまいます。
 この文書は、Y先生が外来をお辞めになると知った3月25日あたりから4月13日にかけて書きました。内容的にかなり矛盾・錯乱したところがあるかと思いますが、どうかお許しください。家族やY先生やKさんから指摘されるほど私は憔悴して動揺していたのです。これからは、主治医H先生・心理浅田先生の新体制でやっていこうかと思っています。司書は最後の挑戦かもしれません。私の年齢を考えると、ね。司書資格、取れなかったら自殺かもしれないです。マジで。私ももう若くはない。自殺なんかして、未遂に終わったら、またキチガイ病棟の今度は閉鎖室にブチ込まれるかもしれませんが、先生にそんなとこ見られるぐらいなら舌噛んで死にますね。その前に念力か何かで眞田CPを呪い殺しますが。この文書はY先生に託そうと思います。別に郵便代をケチろうとかそんな腹じゃありませんよ(笑)。Y先生を信頼しているからです。この文書も最初にY先生に読んでもらうつもりです。もし、先生がこの駄文を最後まで読んでくださったのであれば、そのことに心から感謝いたします。では。
2015年4月13日
草々


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