やっぱすげえな中村先生2

何に感銘を受けるか、何に感動するかは人によって違うと思います。大学で私は英文学を専攻しましたが、英文科というところは英文学を専門にしている先生もいれば英語学を専門にしている先生もおられます。私は英文学は好きだったのですが、英語学講義とか英語学演習とか言った語学系の教科が非常に苦手で成績は常に低空飛行もいいとこ、担当教授のお情けで卒業させてもらった科目も少なからずあります。大学時代に私が英語学概論と英語学演習を取っていた英語学、特にチョムスキーが誰かの研究をしていた先生がおられたのですが、この先生はいわゆる「ら抜き言葉」が嫌いでした。「食べられる」を「食べれる」と言ったり「出られる」を「出れる」と言ったりするあれですね。でもら抜き言葉の中にも日本語として通じるものと通じないものがあることをこの先生は指摘しました。「食べれる」「見れる」は日本語として何とか意味が通じるが、「学生によって学食でうどんが食べられた」という文章を「うどんが食べれた」という文章にすると意味が通らなくなります。「オレ、こういうことに感動するんだよね」とその先生は言っておられました。「何に感動するかは人それぞれだよ」と私に言われたこともありました。私は今中村真一郎先生の畢生の大作・四季四部作の完結編「冬」を読んでいます。「何でそんな難解極まるものを骨を折って読むの?」と質問する方には「中村先生の小説にしかない感動を求めてです」とお答えしなければなりません。この大長編にこんな一節が出てきます。「近代的な個人は孤独に生きることを運命づけられているのだが、その孤独から脱する一つの道は、この詩的歴史の長い時間の中に身を浸すことなのである」これはハードカバー版の131~132ページにかけて出てくる文章です。詩的歴史というのは解釈が難しいのですが、好きな人と時間を共有することらしいのですね。主人公で小説の語り手で、作家の「私」が最初の妻の「M女」や二人目の妻の「N女」について語るシーンで出てくるセンテンスです。私はこういうセンテンスにすごく感動するタイプです。「人間にとって幸せってなんだろう」という問いに答えてくれているような気がするのですね。「人間にとって幸福とは何か」という問いに対する答えは人の数だけあると思います。お金沢山持っているのが幸せと答える人もいるでしょうし、学歴があるのが幸せと答える人もいるでしょう。異性にモテるのが幸せという人もいるでしょう。先の英語学の先生のように言語学的発見をした時がいちばん幸せという方もおられるわけです。中村先生に言わせると近代的な個人というのはここ数百年の間ににわか作りで作られた概念でしかないのだそうです。そこから脱して幸福感に浸るには「詩的歴史の長い時間に身を浸す」ことが必要と小説の語り手~多分中村先生本人~は言うのですね。話がそれてしまうかもしれませんが、私が蛆虫のように21世紀になってから湧いて出てきた格差社会本作家が死ぬほど嫌いなのは、彼らがゼニの亡者だからです。他にも理由は沢山ありますが。金が大事なものではないなどという世迷いごとを私は言っているのではありません。お金は大事です。大は国家や社会の運営から小は家計のやりくりに至るまで、お金がなければどうにもならないのが人間社会です。しかし、ゼニがすべて、ゼニがない奴は社会的落伍者か落伍者予備軍みたいにぬかす連中はアホだと言わざるを得ません。彼らは自分の固定観念をバカの一つ覚えのように大仰かつヒステリックに必要以上に喚き散らしているだけです。こういう連中に「人間にとって幸福とは何か」という命題をつきつける中村先生の大長編はやはり偉大な作品だというべきでしょう。もっともやれ格差だ、やれ下流だと喚き散らすことしか能がない低能作家どもに中村先生の小説を理解することなんてできないかもしれませんがねw

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